2009年 08月 11日
お別れ |
先週8月5日に、明治生まれの祖母が亡くなりました。
97歳でした。
そして、その週末、お別れをしてきました。
祖母は、どんな人にも平等で、いつもみんなの話を聞いてくれる、おだやかな人でした。
親戚も、近所の人も、遠方の知り合いも、よく祖母を訪ねていました。
祖母が怒ったり、意地悪なことを言ったりするところを見たことがありません。
いつも着物を着て、台所仕事をしていた印象があります。
お料理が上手で、白いごはんも、ぬか漬けのお漬物も、煮物も、お茶もほんとうに美味しかった。
石川県金沢生まれの祖母は、小さいときに母親を亡くし、母親代わりに兄弟の面倒をずっとみてきた苦労人でした。
そのために漆芸家の祖父と結婚したときは、晩婚だったと聞いています。
戦争中は、疎開先の借りた土地を耕して芋やかぼちゃを作り、子どもたちに食べさせて、生き抜いたそうです。
何年か前からは、認知症が進み、介護施設に入っていました。
先週、訃報を聞いたときは悲しかったですが、6人の子どもとその配偶者、13人の孫と配偶者、10人のひ孫に囲まれて、にぎやかで幸せなお別れになったのではないかと思います。
最後に、祖母に・・・
「いつも可愛がってくれてありがとう。おばあちゃんのことは、これからもずっと忘れません。」
97歳でした。
そして、その週末、お別れをしてきました。
祖母は、どんな人にも平等で、いつもみんなの話を聞いてくれる、おだやかな人でした。
親戚も、近所の人も、遠方の知り合いも、よく祖母を訪ねていました。
祖母が怒ったり、意地悪なことを言ったりするところを見たことがありません。
いつも着物を着て、台所仕事をしていた印象があります。
お料理が上手で、白いごはんも、ぬか漬けのお漬物も、煮物も、お茶もほんとうに美味しかった。
石川県金沢生まれの祖母は、小さいときに母親を亡くし、母親代わりに兄弟の面倒をずっとみてきた苦労人でした。
そのために漆芸家の祖父と結婚したときは、晩婚だったと聞いています。
戦争中は、疎開先の借りた土地を耕して芋やかぼちゃを作り、子どもたちに食べさせて、生き抜いたそうです。
何年か前からは、認知症が進み、介護施設に入っていました。
先週、訃報を聞いたときは悲しかったですが、6人の子どもとその配偶者、13人の孫と配偶者、10人のひ孫に囲まれて、にぎやかで幸せなお別れになったのではないかと思います。
最後に、祖母に・・・
「いつも可愛がってくれてありがとう。おばあちゃんのことは、これからもずっと忘れません。」
by bag-to-go
| 2009-08-11 00:00
| その他
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Comments(4)
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moniha20 at 2009-08-11 05:49
お悔やみ申し上げます。
戦中、戦後はきっと大変な暮らしだったんでしょうね。。
そんな中6人の子供さんを育てられたお婆様の気丈さが感じられます。
お婆様のご冥福をお祈り致します。
戦中、戦後はきっと大変な暮らしだったんでしょうね。。
そんな中6人の子供さんを育てられたお婆様の気丈さが感じられます。
お婆様のご冥福をお祈り致します。
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n-to-s at 2009-08-11 11:18
切ないけれど、素敵なお話をありがとう。 本当にすばらしいおばあさまだったのね。
故人の歴史を伺って、おばあさまとおじいさまのDNAが、ご両親を経て、to-goちゃんにしっかりと受け継がれていることを確信しました。
心からご冥福をお祈りしています。 R.I.P.
故人の歴史を伺って、おばあさまとおじいさまのDNAが、ご両親を経て、to-goちゃんにしっかりと受け継がれていることを確信しました。
心からご冥福をお祈りしています。 R.I.P.
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to-go
at 2009-08-11 16:45
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to-go
at 2009-08-11 16:49
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